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■ニュース・時事
スレッドアイコン 海外・新聞
(その他海外) スレッドマスター:- 投稿日時 2004/5/25 1:39
アクセス数:6070 更新日時 2004/5/25 1:39
海外の新聞を翻訳するスレ

私は、主に、フランス・中国の新聞を訳すつもりです。
「ル・モンド」・「人民日報」等
アメリカの新聞は注目記事があれば、紹介します。

注意
私のフランス語・中国語のレベルは高いとは言えませんので、
質を保証するものではありません。
大まかに意味を取っていくことになりますので、ご了承下さい。

翻訳のみでも可

*削除・ブロック等、しません。
 
ページ 1|2345
150 これまで
投稿者:- 投稿日時 2005/11/28 09:31:56
更新日時 2005/11/28 09:31:56
場所を提供してくれたスレマの Fumiさんに、心より御礼申し上げます。
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149 北京、スナックバーの過当競争
投稿者:- 投稿日時 2005/11/28 00:30:07
更新日時 2005/11/28 00:47:59
「Beijing 'snack' bars in fierce competition」
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 翻訳
 北京、スナックバーの過当競争

労働者が午後6時頃に仕事を終えた後、北京の SOHOニュータウンの 41階建オフィスビル Tower Aの大部分は翌日まで暗くなる。しかし午後8時から午前1時過まで、30階以上向けエレベーターは再び満員で動き始める。
警察が今月ある夜、自殺を調査するために正面玄関を封鎖した時さえ、乗客は地下駐車場を通るエレベーターへと潜入した。死物狂いで昇る必要のある人々は誰か? 退社するか、北京を訪問しているか、または顧客接待する日本人男性だ。
彼等は、若い中国人の女性と同席する為に支払う、最上階の5つの日本式バーに昇っていく。30才以下の女性の接客を楽しむ料金は、最低でも120元(14.8ドル)だ。女性の為の物を含む飲み物は特上であり、緑茶1バッグが 30元から始まり、酒やウイスキー水割りは100元以上だ。

2000年以来、日本式のスナックバー(大阪からバンコクまでのアジア都市の長年の現象)は、ビジネス、仕事あるいは勉強のため滞在している増え続ける日本人向けに、北京の高層建築の離れやホテルで営業している。
日本の芸能雑誌 Super City編集の大石ミノル氏は、その存在は他国と中国の交流の中核と言う。やはり人気なのは、全男性向けに視聴覚設備と女性の接待を提供する、部屋毎に区分されたカラオケバーだ。 貸出料金は 600元から始まり、そして女性は1対1のチップを期待する。
北京滞在の日本人は 2000年の 4815人からおよそ 7600人に増えており、雑誌の一覧表はそこで120の日本式バーが営業されている事を示している。

大石氏は、「最近、増々多くの日本人がいて、大勢ではないが、増加している」と言う。北京の静かで清潔で赤く点灯されたバーは、顧客の職場の近くの高層建築に集まっている。
そこでは都市の夜景が楽しめ、多くの日本人は通りに面した中国あるいは洋風のバーの風通しの良さより、プライバシーを好む。北京の最大の歓楽街は、2つの "mini-city" SOHO地区と、ランドマークである Kunlunホテルの近くのホテルとオフィスビル群だ。
しかし新開店したバーの数はピークに達っし、急速に評判となる店がある一方で潰れる店もある。大石氏は「新しいバーの数はわずかであるため、より古いバーが消えていった」と言う。

街の商業地の中核にある、どんよりした新 Jianwai SOHOオフィス住宅複合ビルの 33階にあるクリスタル・レモン・バーの従業員は、売り上げは横ばいと言う。
彼女は彼女のバーに、なぜとても多くの競争相手いるか、あるいは彼女のバーのセールスポイントが何であるかさえ確信がない。

SOHOニュータウンの 40階の Bar Snackの"ママ"である Wei Linは、増加している日本居住者の共同体が、彼女が前の所有者が日本に行った後に10月に引き継いだ、140平方mのスペースを支えると信じている。
彼女は、彼女の最大のセールスポイントが何かまだ確信がないが、顧客が「静かな」酒場と都市のライトの光景を好むだろうと推測している。
32階に150平方mの競争店を持つ Satin Dollも、静かな雰囲気が顧客を呼ぶ主因と言う。「都市のライトの光景がセールスポイントであるなら、私は最上階にいる」と、22歳の Wei Linは言う。

Bar Snackの下の階の Sugar Heelでは4人の従業員がバーの後ろから顧客を迎える。昼は別の企業を経営している在住日本人オーナーのタニ・ヒサシは、飲酒と会話だけのバーだと言う。
お触り、脱衣、またはホステスとの外出も無しで、どんなカラオケも騒がしい音楽も店内で許されていないと彼は言う。「当店の自慢は、私達の管理が標準以上である事だ」と彼は言う。
しかし Weiとタニは共に、顧客がより少ないと認める。タニは「あまりに多くの日本式バーがある」、「中国人であれ、あるいは日本人による運営であれ、それらは似たような物だ」と言う。

何人かの顧客は 35階の Sky Club --- 10人以上のウエストの下と上を剥き出しにした中国人ホステスが、毎晩、顧客グループを歓迎し、店内の4つのソファーテーブルセットがすぐに満席になる --- に流れたかもしれない。
Sky Clubのホステスは、彼女ら接客中の基本的なレベル-101」の会話のために十分な日本語、または顧客が中国語を話すと言う。"ママ"は、バーに顧客を獲得するようホステスに迫り、売上げが落ちた時には彼女らを叱責し、彼女ら何人かに労働に対し手取り 2000元/月以下しか支払わない。

バーは、 Super Cityと別のローカルな日本の芸能雑誌 Walkerに広告を出すが、ホステスとリピーター客間の関係に大きく依存している。
大石氏は、何人かの日本人顧客は中国人運営の古典的ホステスカラオケバーはやかまし過ぎると気付き、従って彼らはより静かな日本人運営の競争相手を好むと言う。
148 鉄鋼業界の盛況、供給過剰となる
投稿者:- 投稿日時 2005/11/27 10:37:09
更新日時 2005/11/27 10:37:09
「Steelmakers on a roll, until the next glut」
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 翻訳
 供給過剰まで、鉄鋼業界の盛況

中国の鉄鋼需要は世界の大手生産者に恩恵をもたらし、買収資金繰りを助け、アルセロールの Dofascoへの敵対的買収はまさに最新の例だ。が、中国鉄鋼生産の伸びは、市場で氾濫する怖れがあり、圧倒的な規模が世界の鉄鋼大手の防御となるかの試練だ。
破裂前の dotcomバブルにまだ投資家が夢中の6年前、鉄鋼はオールドエコノミー最後の砦の1つとバカにされた、多くの企業が国営か国益に不可欠と考え存続を謀る政府がかなり保護していた。
鉄鋼事業はグローバル化に遅れた。今週、アルセロール(2001年、フランス、スペインおよびルクセンブルクの最大の鉄鋼企業が合併)が Dofasco(カナダの鉄鋼大手)に現金 38億ドルの敵対的買収を行なった事は、ネットバブル破裂後に業界の被った変化の現れだ。

状況変化の証拠はまだある。世界第2のアルセロールは、ドイツか米国の鉄鋼メーカーと Dofasco買収競争に直面するとの噂が有る。
アルセロールが敵対的になる一因は今年始め、ウクライナの旧国営鉄鋼会社の Kryvorizhstalの買収競争で世界最大手で現金 48億ドルを提示したミッタルに負けた事だ。
アルセロールとミッタルは、トルコ国営鉄鋼会社 Erdemirの部分入札で国内勢に負けた。昨年は、例えば11/23日にミッタルが破綻したカナダ鉄鋼会社 Stelcoから若干の資産獲得を発表したような、多数のより小さな取引を見た。

M&Aと資産売却は、何十年も業界を悩ませた慢性的過剰設備を減らし世界の鉄鋼会社復活を助け、悪い経営の代名詞であった業界に新しいより効率的経営を持込んだ。東欧の旧共産主義諸国と他の経済成長中の国の資産民営化は、統合の機会を増した。
鉄鋼復活のはるかに重要な要因は中国経済の急成長だ。最近まで急増する中国の鉄鋼需要は価格を急上昇させた:指標となるホットコイル価格(2001年、わずか 200ドル/トン)は、2004年には 600ドルを突破したが、それから価格は下落した。
価格急騰は以前は緊急援助と破綻が標準であった業界に、高い利益と評価の時の到来させた。しかし鉄鋼会社はまだ2つの問題と対峙する。

まず彼らの改善の多くが、製鉄の原料供給者に気づかれた事だ。鉄鉱石の供給者団体は、昨年の19%の上昇後にさえ、今年3月に 72%の大幅値上げを要求した。製鋼プロセスに不可欠な粘結炭の供給者はまた、より大きな値上げを主張した。
早期の予想は、鉄鉱石供給者が来年、恐く最大で 20%と大幅な値上げを要求する可能性を示唆する。エンドユーザー向け価格が下がっている時に、今年の値上げは 40 - 60ドル/トンの鉄鋼原価上昇となる。
潜在的に非常により大きい第2の懸念は、世界消費の 30%を占める中国の膨大な鉄鋼需要が弱含む事だ。 

中国生産が伸び続ければ、これは特に業界に厳しい事になる。2004年、国際鉄鋼研究所によると中国の工場は鉄鋼 2.73億トンを生産した。今年始めの10ヵ月の生産料は 2.87億トンだ。
無秩序な成長と経済過熱を懸念する中国政府は、抑制策を導入した。影響はまもなく中国国内外に現れた。中国最大の鉄鋼会社 Bao鉄鋼は、全国的供給過剰のため 2006年第1四半期に主要製品を10%値下げすると言う。
経済が10%/年をそれほど下回らぬ率で成長し続けているが、適度な減速さえ鉄鋼の供給過剰で世界市場に影響を及ぼしかねない。

世界の大手鉄鋼メーカーは、状況が悪化しても、より規模拡大で良い時に収穫をあげ、影響を遮断できる事を望んでいる。鉄鋼会社のトップのラクシュミッタル氏とアルセロールのボスの Guy Dolle氏は共に、業界は将来的に1億トン以上を生産する2、3の大手に支配されると同意する。
ロンドンを拠点とする民間企業のミッタルは今年始め、米インターナショナルスチールグループを獲得し、ウクライナでの買収を含め、年間生産 6500万トンを越える体制だ。
Dofascoの生産を含めても、アルセロールはいくらか遅れている。しかし双方、中小生産者を傘下にできる機会を見つけると飛びつき、拡大している。

鉄鋼石とコークス価格の交渉時、さらなる統合は鉄鋼会社に確かに余力を与える。世界の5大鉄鋼メーカーはまだ世界市場のおよそ1/5をだけ支配しているが、3大鉄鋼石会社は供給の 70%を抑えている。市場で大きな力を発揮できる水準への統合は、まだ道のりは遠い。

彼等に打ち勝つ事ができるか

勢力の均衡を変える1つの方法は、2 - 3の大手鉄鋼会社がまさ鉄鋼石や石炭事業を買収しているように、供給側の事業分野を侵食する事だ。Dofascoは自身の鉱石事業を有する事も、魅力的な買収対象である一因だ。
ミッタルや USスチールと比較し、アルセロールは独自の鉱石埋蔵量をほとんど持っていない。世界第5の韓国 POSCOは、ブラジルとオーストラリアで鉱石鉱山への関与を求めている。原料に対するミッタルの渇望は、政治的不安定にも拘らず、リベリアでさえ鉄鋼石生産者へ接近させている。

大手鉄鋼メーカーは更なる統合が彼らの望む形で勢力均衡をシフトさせる事を望み、そして彼らは圧倒的規模により、将来のどんな需要減少を乗り切るの助けとなると確信しているようだ。
しかし多くが疑っているように、特に買収側が資産に払い過ぎなら、鉄鋼事業のサイズは本来、規模の経済に関して大きな果実をもたらさない。
世界市場が深刻な供給過剰を迎えるなら、大小の全ての生産者は打撃を受ける。
147 中国での方向転換を求める叫び
投稿者:- 投稿日時 2005/11/22 20:04:28
更新日時 2005/11/22 20:13:22
「Cry for about-face in China」
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 翻訳
 中国での方向転換を求める叫び

中国は興味深い時を迎えた。しばらく政治情勢は変わりつつあったが、しかし今、変化の方向が明白になりつつある。トウ小平の劇的な文化大革命後の改革開放政策に理論的支柱を与え、そして資本主義を共産主義の初期段階とする基礎観念を生み出した男は考えを改めた。
彼は大きく時を改めた。そして意見を発表を上層部から承認されたと言う。中国共産党の中央委員会の一時的な代替メンバーであり、党のシンクタンクである中国社会科学学会の前副会長であり、そして長年、市場指向の改革の先鋒であった経済研究所の前取締役であった Liu Guogong教授は、全く大きな間違いだったと判断した。
Liuは、彼の古い学会の社内雑誌の最新号で、この 20年で2つの経済哲学 -- マルクス主義と自由な市場経済主義 -- には妥協の余地が無いと示されたと言う。

どちらか選ばねばならない。驚いた事に、彼はマルクス主義への全面的復帰を求めている。Liuは、中国の大学で西洋の自由な市場原理経済の理論と実務を教える事の禁止を要求した。彼は今後、マルクス主義経済理論のみ教えるべきと信じている。
外国で経済学の学位を取得し帰国した学生が、学んだ事を教えないと同意しない限り、彼は彼らが中国の大学で職を得る事を禁止せねばならないと主張する。彼はさらなる方向へ行く。
彼は、中国の経済学者は西側の経済学者と交流し、留学し、そして西洋の経済学会に出席する事で汚染されたと主張する。彼は、西側の経済学者と食事を共にする中国の経済学者を、そうした事は彼らの考えを腐敗させると激しく非難しさえする。現代中国の主要な経済学者のうちの1人の大反動について、簡単な説明があるか?

Liuのような年齢と地位の者がなぜ、最近 20年の経済に失望を感じるかもしれないと見る事は容易だ。国家が市場経済制度を採用する間、彼の仕事の主な目的は中国共産党が政権の座に在り続ける事への正当性を提供する事であったので、共産党の権力が脅かされている現在、彼は失望するはずだ。
党リーダーシップの認可は、しばしば広く無視され、有害な(致命的な)結果となる。中国の石炭産業の最近の状況は、これを例示している。
炭鉱夫は中国全体でほぼ15人/日の割合で死亡し、そして党が安全対策の改善でそれを止めよう、少なくとも歯止めをかけようとする一方、それは完全に失敗した。先週、さらにいくつかの致命的な事故が報告された。

党は石炭産業に2つの目的がある:石炭生産を増やす事と、安全性を改善する事。エネルギー不足(26の行政区で昨年、停電または電圧低下を経験した)の時、最初の目的が優先される。
中国で機能している市場は、鉱山主に安全性を問わず生産を増そうという強い誘惑を提供する。中国では生命は安く、死亡あるいは重傷を負った者は、素早く置換えられてしまう。自身や家族が空腹であれば、彼らは危険を顧みない。
安全性確保の為、規則が実施されているが、何千もの炭鉱で無視されている。規則の実施を確実とするべき立場にある者達は、炭鉱主と共謀している。多くの場合、彼らは炭鉱主であるか、炭鉱の株主だ。この場合、利益は人命より優先される。

今年始め、中央政府は安全規則を施行しない誘因を取り除く趣旨で、役人が炭鉱の全ての資産を放出せねばならないという新しい規則を出した。政府は、実質的に役人全員がそれを拒否したと認める。当局の1人は、これが彼の職と党員資格の放棄と、炭鉱の株式保有との選択であれば、株式を保有し続けると言う。
こうした抵抗に直面した中央政府は先週、新しい命令を出した:今後、鉱夫が炭坑に入る時、炭鉱主または管理チームのうちの1人が彼らに同行せねばならない。管理者や炭鉱主が炭鉱に入っていくのを待たないように(彼らは、入っていかない)。
党は国家の制御を失っている。制御していると主張はしている。閉鎖された炭鉱のリストは発表されるが、検査官が炭鉱を去ったその翌日、再び操業開始されるか、あるいは新規に採掘される。

要するに、中国には 23,500の炭鉱が有る。政府は閉鎖を命じた12,148の鉱山のうち、実際に閉鎖したのは1,870だけと認める。私は、それらがまだ閉鎖されているか、そして閉鎖された物は恐らく新規に採掘された物により十二分に釣り合うだろうと疑う。規則に従わない誘因は、あまりに強い。
今月始め、上海日報は、急な鉱山の斜面の上でかなり積載した木の手押し車を素手で牽引し苦労している鉱夫の写真を掲載した。福建省竜岩市で、違法に操業していて閉鎖を命じられた160の鉱山のうち、129は地方自治からの支援ゆえに操業を続けているとも報道した。
どうして Liu教授がそれが全くうまくいかなかった、そして時計の針を戻さねばならないと思うか判るだろう。マルクス主義的経済の規制は、経済的誘因に太刀打ちできない。

中国の貧しい者はより貧しくなり、非識字率は多くの地域で増加し、農村における医療提供の劣化は深刻であり、都市の汚染は破壊的となりつつあり、環境破壊は広範囲に渡り、そして鉱夫はハエのように死亡している。
残念ながら、中国の大学で西洋の経済学を教える事を止めても、中国の経済学者に西側の経済学者と昼食または夕食をとる事を止めさせても、さほどの違いを生まない。
問題は、マルクス - レーニン - 毛沢東主義政治体制内での西洋の自由主義経済政策採用で産まれた富から最も利益を得ているのが党指導部(と彼らの家族)である事だ。そして彼らは、全てのレベルで、政府(および司法)を監督している。
誰もが革命のために?
146 特別会計改革
投稿者:- 投稿日時 2005/11/19 23:37:24
更新日時 2005/11/19 23:41:46
「Special account budgets' overhaul urged」
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 翻訳
 特別会計予算の改革は待った無し

諮問委員会は金曜日、資金を節約し負債まみれの国家財政再建を助けるため、無駄な支出の温床として知られる 31の特別予算会計を徹底的に見直し能率化する事を政府に提唱した。
財政制度審議会は「根本的改革が不可欠」、「財務省と他の政府省庁は、繰り返される無駄な支出の不祥事について、真剣によく考えるべきだ」と財務相への報告書に記した。
特に、審議会は公共事業のための4つの特別会計 --- 道路、河川、空港、および港湾を含む --- は統合されるべきと言う。他の11の特別会計を民営化または独立行政法人に移行させる一方、6つを一般会計に吸収すべきと報告書に記されている。

国民年金会計は厚生年金会計と、労働保険会計は船員の保険会計と、そして電力開発促進会計はエネルギー需給改善会計と統合されるべきと言う。また審議会は、道路工事と他の特定の用途に設定された租税収入を、一般用に利用可能にする事を勧めている。
審議会の特別会計小委員会の議長である中央大学冨田教授は、特別会計が省庁の既得権益を保護していると報道陣に述べた。「一般の観点から、それは問題が多い」と彼は言う。
新議会の報告に基き、政府と連立与党は年末までに特別会計の効率化に関するアウトラインを立案するだろう。

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「State special accounts: Why they face scrutiny」
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 翻訳
 国家特別会計、精査に直面する理由

財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の小委員会は金曜日、政府の予算の 31の特別会計について、一般会計への吸収、民営化、または独立行政法人による運営による合理化を提唱した。
ここに、特別会計が現在どのように運営されているかに関し、いくつかの質問への解答がある。

特別会計とは何か?

特別会計における資金を特別なプロジェクトに使用し、資金は特別税収入により賄われている。例えば、道路特定財源(地方自治体交付金、公債管理、および年金に次いで最大)は 2005年度、ガソリン税、燃料税、料金収入、ローンおよび他の財源からおよそ 3.9兆円をプールすると予測される。
資金は唯一、道路や橋の建設維持を含む、道路関連の費用へと割り当てられ、病院建設または学校への資金供給を含め他のいかなるプロジェクトにも使用できない。

多くの特別会計は税以外の財源を含んでいる。例えば、人々が政府関連の日本中央競馬会を介して競走馬に賭ける事で得られる利益の一部は特別会計へと割当てられる。
資金の 75%は、牧畜農家への補助や、新しい管理方法の研究や女性の牧場主への支援などを含むプロジェクトに充てられる。残る 25%は介護への資金供給を含む健康管理プログラムへと廻される。

何故、資金は一般会計予算と切り離されているのか?

特別会計は、会計と関連諸税をリンクさせる事により、優先順位の高いプロジェクトやサービスへの安定した資金供給を保証する。
道路特定財源は、運転手が道路と橋の維持費用を支払うよう、収入が道路関連の税金から来るよう設定されている。飛行機に乗る人は、乗る度に航空燃料税を支払い、それは空港維持費用に充てられる。そして電気税は、新しくより効率的なエネルギー源の開発に資金を供給する。

政府はなぜ、制度変更へと動いているのか?

財務省、税制調査会、および首相の経済財政諮問会議を含む評論家は、特別会計が浪費と濫用の温床となっていると主張する。彼らは、資金はまさしく利用可能であるがゆえ、不要なプロジェクトに浪費されていると言う。
財務省は巨額債務を減らす方法を捜し求めており、そして特別会計を批判する者は、より広範囲の予算項目に使用できる一般会計予算において、それらの資金をより良い使用方法に投下できると言う。

これまでのところ、なぜ何も変っていないのか?

特別会計を管理している省庁は、特定のプロジェクトのための安定した資金源が失われると主張し、変化に抵抗している。
経済産業省の高官の1人は、一般会計予算に電気税収入を振り向ける可能性について議論し、「それが本当に必要な時、財務省が我々に資金供給するという保証が得られるなら、私は反対しないでしょうが、めったに(保証)されない」と言う。
問題が1度も本気で取上げられた事のない別の理由 --- 特別会計が厳密な調査を回避してきた別の理由 --- は、資金が納税者から特別会計へと振り向けられる複雑な経路だ。

いくらかの税収入が最初、一般会計予算へとプールされ、それから指定された諸税からあげられた資金を特別会へと分離し割り当てる。現在の年度予算で、一般会計予算の 48兆円が特別会計へと廻される予定だ。この金額から、およそ4兆円が一般財源の特定用途へと指定される。
しかし、明確な目標へと指定された資金の特定の配分のほとんどは、それら特別会計を管理している省庁により未だに決定されている。
145 海外への世論。「世界」は止めてくれ、我々は降りたい
投稿者:- 投稿日時 2005/11/19 00:11:22
更新日時 2005/11/19 01:19:55
「Public views of abroad, Stop the world, we want to get off」
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 翻訳
 海外への世論。世界を止めてくれ、我々は降りたい

米国人は、より慎重で陰鬱になっている。イラクのトラウマが米国人をより孤立主義的にしているのか?11/17日にリリースされた新しい世論調査にその証拠を見る事ができる。
Pewリサーチセンターは、定期的にオピニオンリーダーや一般大衆のサンプルを対象に、「世界における米国の立場」について集中的に質問している。彼らの回答は、より陰鬱になっている。これは、特にエリートにとっては真実だ。米国がイラクで安定した民主主義確立に成功するかどうかを問われ、33%のジャーナリスト、27%の研修者、13%の科学者とエンジニアだけが肯定した。
一般大衆はより楽観的で、56%が彼らの国が結局は勝つと考えている。エリートの中では、将校だけは 64%が勝利を予測し、より楽観的だ。

中東全域の民主主義というブッシュ大統領の提唱に関し、ほとんど米国人は良い考えと思っているが、しかしそれに成功すると思っているのは少数の人だけだ。
一般大衆は割れている:22%は間違っていると考え、36%は良いアイデアだが多分失敗するだろうと考え、34%が良いアイデアであり多分成功すると考えている。より楽観的な軍と宗教指導者を除き、エリートの大多数はそれを多分失敗するであろう良いアイデアと考えている。
米国人の 2/3は、祖国が過去ほどに尊重されていないと感じている。最も支持されている説明がイラク戦争だ。エリートの 88%は、一般大衆の71%と同じく、イラク戦争を反米感情を駆立てている主因の1つとしてあげる。

おそらくこのため、エリートと普通の米国人は、忠誠を感じていない。有意なデータの無い軍隊を除いたエリート群は、1993年ほどに米国が断固として諸国を導かねばならないと言いそうにない。
国と地方政府首脳の間で、割合は 78%から 54%まで落ちた。そして一般大衆の間で、米国が「国際的には自国の事に専念し、他国には彼等自身でベストを尽させるべきだ」と考える割合は、2002年の 30%から今年は 42%に上がった。
これはヴェトナム戦争の後、そして冷戦終了後の、孤立主義感情のピークに相当する。

おそらくブッシュ大統領は、エリートの敗北主義者ムードを気にも留めない事ができる。Pewの研究者が認めるように、彼らが会見したオピニオンリーダーは大部分は民主党員だ。
しかし大統領は、結婚式で自爆テロを実行するような種類の人々と対峙する必要性を無くしたいという市民の増大する願いを退ける事はできない。
今週、アラスカの空軍基地でブッシュ大統領は、米国は彼等と立ち向かう他に無いという彼の見方を繰り返した。イスラムのテロリストは「我々の意志を挫き、我々の政府を孤立への脅する事」を狙っていると彼は警告した。「私が米国合衆国大統領である限り、そんな事にはさせない」と彼は約束した。しかし彼を支持する米国人の数は減少している。

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「Habomai islet gets Russian Orthodox church」
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 翻訳
 ロシア、歯舞諸島に東方正教の教会を建設

木曜日、ロシア正教の教会と思われる建物が北海道の北東沖のロシアが実効支配している北方4島の1つに建設されている事を、北方領土関係資料展示施設が確認した。
根室の教育施設、「北方館」の職員は定期的に望遠鏡で歯舞諸島の水晶島を観察しており、11/8日に建物を確認した。
日曜日、作業員は離島し、そして以降は島には誰も上陸していない。島には現在、ドーム天井とその頂上に十字架のある建物があり、それはロシア正教の教会と考えられている。

納沙布岬から7km沖にある水晶島には、哨戒地点とレーダー設備がある。ロシアの国境警備隊だけが居住している。日本は長くロシアに、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島の変換を要求している。

小泉首相は信頼を模索する

木曜日、小泉首相は来るべきウラジミール・プーチン露大統領との首脳会談において、たとえ領土問題について新規の文書を発行する事ができずとおも、信頼関係を築く努力をすると述べた。
144 資本主義は平和のカギか?
投稿者:- 投稿日時 2005/11/14 04:17:04
更新日時 2005/11/14 04:17:04
「Is capitalism key to peace?」
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 翻訳;
 資本主義は平和のカギか?

絶えず紛争の続く世界で、人は当然尋ねる:どうすれば平和が? 多くの人々、ジョージ. W.ブッシュ米大統領を含む、は民主主義の拡大が戦争を減らすと望む。
しかし新しい研究では、コロンビア大学の Erik Gartzkeが「資本主義的の平和」と呼ぶところの自由市場の拡大が遥かにより重要な要因だと示唆する。それが左翼さえ自由市場を支持する理由だ。
資本主義的平和論は、新しい物ではなく、モンテスキューとアダムスミスが信奉していた。英国の古典的自由主義者(例えばリチャード・コッデン)の多くは、帝国主義に反対する一方、自由市場を支持した。

しかし、第1次世界大戦は交易の増大では充分でないと証明した。経済破綻の見通しは、激烈な国家主義、民族の憎悪と安全への恐れが市場の力に凌駕する事を防げなかった。さらなる対決がもう1世代に続いた。
有難い事に、第2次世界大戦は戦争を主要な先進国 --- そして民主主義の --- 諸国間で、基本的に考えられない事にした。イマヌエル・カントのように、共和制は他の制度より好戦的でないとする議論への支持も高まった。
今日の当然の帰着は、独裁から民主主義国家へと以降する事が対立を減らすという事だ。この主張は、イラクへの侵略のため、米国内と同じ位、外でもいくらかの支持を得た。

が Gartzkeは「『民主主義の平和』は、経済と政治的な自由のオーバーラップが引起こす蜃気楼」と主張する。それは一般的に民主主義国家には権威主義国家より経済的自由があるという事だ。
このように「民主主義は多くの理由により望ましい」一方、フレザー機関の作成する世界の経済的自由の最新版にて彼は、「民主的に選出された政府は、国際的な平和に直接貢献しそうにない」、「資本主義が断然、より重要な要因だ」と記載している。
国家統制的重商主義からハイテク資本主義へのシフトは、戦争の背後で経済学を変えた。市場は、戦争をより望ましくしくなくする経済的な機会を想像する。領土拡大は、富への最高の道をもはや提供しない。

資本が自由に移動する市場と国際化は、同時に諸国を惹き付け、軍事的対決の経済コストを上げる。さらに、経済繁栄を妨げる制裁は、戦争では不足な外交政策目的の達成に強制的手段となる。
経済の成長傾向は戦争防止に十分ではないが、それは民主主義も同じだ。民主主義国家が、通常は互いにではないが、戦いたがる事は長く明らかだった。Gartzkeは「政治制度における自由は、自国内部においてであれ国同士であれ、国家が戦うかどうかに影響しない」と主張する。
特に、貧困な民主主義国は非民主主義国同様に行動する。彼は「経済的自由度が非常に低い国は、極めて国より14倍、戦争しやすい一方、民主主義は見るべき影響は無い」と言う。

Gartzkeは、同盟への参加、核抑止力と地域的相違を含む他の変数を考慮する。対立の原因は変われど、経済的自由と平和には関係がある。
彼の結論へ異議が無かった訳ではない。熱心な平和論支持者アーサー. R.J. Rummelは、Gartzkeの方法論に疑問を呈し、「民主化の重要性について、インテリや政策に精通したアナリストや解説者を間違った結論へ誘導しかねない」と懸念している。
Gartzkeは大部分の民主主義的平和理論家と同じデータを利用している点を指摘し、詳細に反応した。仮に民主主義国が戦争をしないのが事実であるとして、同時に「深化した自由市場経済を有する国家は、決して互いに戦争しない事も事実だ」。

要旨は民主主義が無価値という事ではない。自由主義の政治制度は自ずと自由投票を伴い、そして例えば、市民権や経済など、他の分野の自由も保護する傾向がより高いという事だ。しかし民主主義だけでは平和をもたらさない。
そうした思想は危険であり、争いの無い世界を創るための万能薬は無いのだ。それは為す術が無い事を意味しない。しかし国際的な市場開放の促進 --- つまり資本主義を広げる事 --- は、繁栄と同様に平和を振興する最高の手段だ。
Gartzkeは「多くの発展途上国の経済が政府支配により規制されたままである限り、発展途上国の戦争は資本主義的平和に影響されえない」と指摘する。そうした経済を自由化する事が重要だ。

それは反資本主義的左翼への特に重要な教訓だ。ほとんどの場合、自由経済に反対する者はかん高く戦争を非難し、しばしばほぼ反戦主義的だ。しかし彼らは、まさしく最も平和を促進しそう経済政策に反対する。
市場を批判する者が市場の経済的哲学的に明白な価値 -- 繁栄と自由 -- を理解しないなら、意図的されぬ平和の配当を評価せねばならない。交易は繁栄と安定を促進し、技術革新は征服の金銭的価値を減らし、国際化は経済の相互依存状態を創り、そして戦争のコストを上げる。
人生で確かな物など無く、そして人々は経済性よりはるかに動機付けされる。しかし平和が良い物である事は明白だ。そして資本主義は平和にとって良い物だ。
143 日本の新サラリーマン
投稿者:- 投稿日時 2005/11/13 00:52:20
更新日時 2005/11/13 00:52:20
「Japan, Meet the new salaryman」
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 翻訳;
日本の新サラリーマン

より若者、女性と高齢者を惹き付ける必要性は、企業における、さらに都市のありようにおける深い変化を意味する。サラリーマン(大企業の忠実で終身雇用生涯された、日本の戦後の奇跡の象徴)は、バブル崩壊後に厳しい時を迎えた。
解雇されたり勤務先が破綻しない場合、彼等は賃金とボーナスの削減とより長時間の労働を要求された。現在、日本経済がじょじょに回復する中、サラリーマンは輝きを若干、回復しているようだ。
パートタイムや契約社員の新規募集が正味で頭打ちとなる一方、正社員数は増大している。常用労働者の収入は、ついに再上昇している。しかし、サラリーマンは必ずしもかつてと同じではない 

車工場のある九州福岡県で、中国や韓国と活発に取引する商社や全噴射ハイテク衛生陶器メーカーの TOTOの経営陣は、人員を削減し過ぎたと認める。1997年に全就労人口の 70%(家族経営の小企業と自己雇用者を除く)であったサラリーマンは今日、ちょうど 60%以上まで落ちている。
単に現在の社員により長時間労働を頼む代わり、新卒を含めより多くの正社員を雇う必要があると言う。国のあちこちで労働者不足は深刻な段階に達し、例えば中部地方の愛知県で求職者1人に1.7の求人がある。
出生率の下落と寿命の伸びという人口統計は、周期的傾向を増幅する。1.27億の人口は恐く減少し始め 2050年までに1.01億に減ると政府は予測する。

就労人口は既に減りつつあり、次の20年間に1/10が減ると予測される。2030年までに日本では退職者1人に労働者2人となり、世紀の半ばまでに退職者2人に労働者3人だけとなる。
現在の日本で女性に大勢の子供を出産するよう説得する事同様にもっともらしくない概念だが、移民を受け入れは別として、労働人口の対人口比を上げる事は、来たるべき労働不足への最も明らかな対処法だ。
長期的には、企業と政府は、人々が歴史的に知っているように1日をサラリーマンに依託する革命の方法で、労働に女性、若者さらに高齢者を惹き付ける努力をする必要がある事を意味する。

福岡市の健康補助食品の通信販売会社で非常に高収益な Yazawaを取上げる。オフィスへの訪問は、外壁を登る樹脂製の猫に限らず驚きだ。1階の大きな空間が生け花や週末のダンスに割当てられ、2階の食堂は畳の上の座卓で健康的な食物を出す。
オフィスは通常の職場の抑圧と対照的に明るく風通しが良く、花が置かれている。そして管理レベルでさえ、スタッフは圧倒的に女性だ。Yazuyaは日本では例外だ。
ゴールドマンサックス東京のキャシー松井アナリストは、女性就労率はここ数十年で 55%まで上がったが、英国(61%)や米国(62%)より遅れ、多くの女性は育児のため完全に退職すると言う。米国(46%)と比較し、日本の女性管理職比率は10%未満だ。

モデルとなる役割の不足と同様、日本女性にとり子供と職の両立は特に難しい。米国の 54%と比較し、3才以下の子供の約13%が保育所に行く。政府は保育施設の増設を計画しているが、1割増でしかない。
一方、主要な政策は企業を対象とする道義的勧告だ。例えば福岡は、良い保育を推進する企業の最高の制度を公表するプログラムが有る。
Yazuyaの Yazu Niyoko社長は、社員に自身の時間管理を許す重要性を強調する。彼女は「従来、病気の子供を学校に迎えに行くには許可を願う必要があった」と言う。ここではそうした事は必要ない。日本の基準からは過激な措置だ。

より多くの若者を就労させる事が次の課題だ。若い時期を過ぎた多くがフルタイムの職に就こうとしない。Yazu社長は、若い社員に自身の仕事に対し、経営への個人参加スタイルと「所有の感覚」を与える事が解決策と主張する。
大学生の就職活動と勤務開始の間の年、新人は会社広報、制服(スタッフがデザインし、会社のファッションショーで投票される)、そして新人が記憶せねばならない Yazu社長の夫が書き留た多彩な企業哲学を送付される。
新人の両親への手紙は、同社がその新人を「育てる」という厳粛な保証だ。西洋人の耳に、これら全ては少し奇異に聞こえるが、しかしそれは機能しているようだ。辞職は、ほとんど聞いた事が無い。

高齢者が最後の課題だ。定年の法定最低年齢は来年から段階に 60 → 65まで上がる。70才に上げれば、労働人口の減少率を半減させる。現在、企業は高齢者の雇用、または雇用し続ける事をほとんど想像していない。
ゴールドマンの松井氏は、女性就労率を世界標準に、定年を 70才まで上げる事が年間経済成長率を各々 0.3%押上げると主張する。しかし労働傾向の変化は、企業あるいは都市の景観においてすら既に形を現しつつある。
モルガンスタンレー東京の資産スペシャリスト Fred Schmidtは、より良い環境を求める労働者の要求は、開発側の建物方法を変えつつあると言う。
例えば、通貨トレーダーが部屋にスターバックス・アウトレットを望む事で、天井高さは上がっている。そして分譲マンション開発の急増は、増える独身女性会社員を狙っている。さらば、青いスーツ。
142 日本は、隣国と歴史問題を緩和せねばならない
投稿者:- 投稿日時 2005/11/10 19:56:14
更新日時 2005/11/10 20:11:38
「Japan must defuse wartime issues with neighbors」
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 翻訳;
日本は、隣国と歴史問題を緩和せねばならない

靖国論争は、米国にとり「戦略的な問題」になりかねない。9/11以降の米国の戦略思考の変化にも拘らず、米国の日本との同盟はかつてなく重要で健全だが、日本とアジア近隣諸国とのトラブルは同盟にとり深刻な問題と証明された、と RAND Corp.の政治科学者 Eric Heginbothamは言う。
10/28日の経済広報センター・シンポジウムにて Heginbothamは、日本は戦争の歴史、特に中国と韓国との関係を酷く悪化させた靖国神社を巡る論争で「地雷の信管を外さねばならない」と述べた。

Heginbothamは米国は伝統的に同盟に3つの役割を求めたと言う --- 1)紛争の潜在的発生地域に米軍の駐留を可能とした。2)米国が予想できる方法での同盟国の力、特に軍事力の利用を可能とした。そして3)米国の外交を支援し、同盟国の安全を保障し、母国から離れた幅広い出来事についてさえ影響力を発揮する。
これらの機能において、時に優先順位は変わる。2001年9月のテロの後、米国は同盟の狭い軍事的な面への強調へと劇的にシフトしたと彼は言う。
米国の防衛戦略として、軽装備の軍隊を素早く世界中に展開する必要性を強調し、焦点は伝統的な同盟から、米軍の特別な基準での柔軟な派兵を可能とするため利用できる仮設設備を準備できる「パートナー」へと若干、動いたと彼は言う。

アジアでの米国の同盟と地位について、これらは何を意味するのか? Heginbothamは、米大軍が東北アジアに留まると付け加えつつ、「全体として、米国が伝統的に最強の同盟国を有する東北アジアにおいて米軍のプレゼンスは縮小し、これからも縮小する。東南アジアでのプレゼンスはいくらか強化される」、それは「中東での行動においてより近く、将来の域内紛争の本拠地とする事ができる」と言う。
これら変化にも拘らず、大陸から離れて基地のある日本の地政学的な位置は、攻撃に対し脆弱でなく、日米が共通の戦略的関心を有している事は、「米国の戦略的思考における日本をより重要にした」と Heginbothamは指摘した。

海外の基地と任務を再編する米国の動きで1つの前向きな面は、それが米国とその地域のパートナーが、彼らの関係において「長く無視されてきたか、水面下に封印してきた問題を直視する事」を余儀なくさせた事だと彼は言う。
負の側面として、Heginbothamは韓国と関係を重要な懸念として取上げ、米国が基地と同盟の作戦面に集中する事で、より広い戦略的利益の視点を失いかねない危険性を指摘した。
最近、いくらか改善の兆候があるが、米韓同盟は「広範囲の非常に深刻な問題と意見の相違により順調ではない」、「未解決のままでは、健全性、または将来における同盟の存在させ脅かしかねない」と彼は警告した。

Heginbothamは、韓国が米国との同盟を脱退しかねない懸念を述べた、「中国の親密な戦略的パートナーであり、そして/あるいは日本の激しいライバルたりうる国として、想像できない事ではない」。
Heginbothamは、日本が新たな役割と作戦を「より対等な軍事関係」で担うようになった事により、日米同盟が「様々な点で、これまで以上に健全」と指摘し、米軍と自衛隊の間で共同作戦能力を強化し、神奈川県の座間基地に新しく米陸軍司令部を創設する最近の相互的な合意を賞賛した。
しかし2国間同盟が良好である一方、Heginbothamは歴史問題(特に靖国神社への小泉純一郎首相の参拝をめぐる論争)について、アジア近隣諸国と日本の関係がギクシャクする事は米国に「戦略的な問題だ」と警告した。

韓国と中国は靖国を日本の過去の軍国主義の象徴とみなし、これらの国と日本の関係は神社への小泉首相の度重なる参拝への怒りにより、近年緊張している。彼は「歴史問題は日本が東アジアでそれに値する指導的役割を演ずる事を妨げ、日本を過去に縛り付け、多分に象徴的で、むしろ不毛な一連の議論に陥らせる」と言う。
彼は、「米国の立場からは、日本の近隣諸国との歴史問題を巡る対立は、もっともましでも地域の他の問題から注意をそらす物で、最悪の場合は米国が利害関係をほとんど、あるいは全く持たぬ紛争へ引きずられかねない」、「韓国では、問題はちょうど日本の方向性だけでなく、日米同盟と日本との同盟における米国の動機への疑問を高めている」と言う。

彼は、日本とその近隣諸国、特に中国が、中国政府が対日関係において歴史問題での罵倒を停止すると同意する一方、日本が例えば、靖国神社に替わる非宗教施設を作るような行動を取る事を含む、いくらかの取引で手を打つ事を提案した。
中央戦略国際研究所の Derek Mitchellは、最近のアジアで多国間主義の進展に関する米国の見解を議論した。
クリントン政権下の元国防総省上級官僚の Mitchellは、それがちょうど諸国が集まり会談を行っている場合ではなく、そしてそれが米国の柔軟性と選択肢を束縛しない場合のみ、米国は多国間主義を支持すると言う。また、米国を除外する多国間主義を望まないと、彼は言う。

彼は、ASEANと中国のリーダーシップの下で「東アジアの多国間主義は米国を無視して前進しているようだ」と言い、米国政府は「この事についてペシャンコだ」と付け加えた。
Mitchellは12月にクアラルンプールで初の東アジアサミットが開催される事について、米国政府はパニック感覚にないと言う一方、伝統的な環太平洋またはアジア太平洋主義が、米国を除外した新興の汎アジア主義に取って代わられるとの懸念があると言う。
彼は「米国は東アジアサミットがどのように展開するのか見ていると思う」と言った。
141 中国メディア、日本に対しよりフェアに
投稿者:- 投稿日時 2005/11/8 20:18:45
更新日時 2005/11/8 20:29:20
「China media fairer toward Japan」
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 翻訳;
中国メディア、日本に対しよりフェアに

国家としては偏向が制御不能になる事を恐れ、客観性を推進している。小泉首相が先月、戦争に関連した東京靖国神社に参拝した時、北京の2つの地方紙は"合祀されている戦犯に敬意を表する事で中国の感情を傷つけた"との中国政府の非難と共に、参拝についての彼の説明を報じた。
東シナ海で対立する天然ガス採掘鉱区についての日中間での先月の協議の後、国営新華社通信は結果や双方の主張について、編集する事無しに基本的事実を報じ、共同開発について議論したと報じた。
9月、国営中国中央 TVは大連を拠点とする日本の対外貿易組織をインタビューし、日本のビジネスが中国でいかに成功しているかを放映した。

日本の内政(10/31日の内閣改造を含む)についての最近の報道は、一般的に中国側の論評抜きで基本的事実を報じている。若干の地方紙は、日本の新聞報道を再刊している。北京大学の国際関係の Liang Yunxiang准教授は、「日中関係に関し、我々はより抑制し分析的で、より感情的でない方向への若干の変化を見る事ができる」と言う。
中国メディアが1年前、日本側の視点を省略したり日本国内の否定的なニュースばかり報じていたのとは異なる、日本への中国のこのアプローチは、中国のジャーナリズムの成熟と共に、最重要な2国間関係について中国市民に抑制を求めるここ半年間の政府の指示を反映している、と専門家は言う。

4月、何万もの中国人が中国全土で反日デモを行い、北京と上海の日本の外交施設に損傷を与えて以来、政府首脳は市民を落ちつかせるため日本関連の報道戦略を改めたとカナダのアルバータ大学中国研究所の Jiang Wenran所長代理は言う。
Jiang氏は、「指導部からの指示は全体として、「ちょっと待て、事態を手に負えなくさせてはならない」、「指示は「不安定につながるような不必要な敵意を煽らぬよう、正確に報道するように」のように見える」と言う。
中央政府指導部は、中国のあらゆるデモは反政府活動に転化しかねないと思っていると彼は付け加えた。

Jiang氏は、中国は10/17日の小泉首相の東京靖国神社参拝への冷静な報道が中国国外の世論を動かす事ができると思ったのだと言う。「冷静であまり感情的でないのは良い事であり、世界に中国を公正とみなさせる」と言う。
10/18日、新華社と中国中央 TVを含む公式メディアは、小泉首相を非難する中国外務省の声明を再報した。北京の諸紙 --- 増え続けており、国営ではないが報道規制に従っている --- も小泉首相の参拝スケジュール、彼の述べた10/17日に訪問した理由と参拝自体についての説明を報じた。
これらには、「北京ニュース」と「北京タイムズ」が含まれ、共に公共交通機関で通勤する者の間で人気のあるタブロイド紙だ。

反日デモの前には、第2次世界大戦降伏 60周年を祝うため、中国領への日本の1931 〜 1945の占領を回顧する特集記事を夏を通して発行する予定だった。
戦争へのメディアの姿勢は「ますます客観的だ」と、元北京誌編集者 Mou Jianmin(現在、文化交流サービスを経営)は言う。彼は、誰にも報道を批判する権利は無いと言う。

中国当局は、より読み易くより市場原理を導入するため、公式メディア以外への規制を一般に緩めていると専門家は言う。
北京大学ジャーナリズム教授の Li Kunは、日中問題についてのニュースについてのより軽い報道官制は、より多くの写真、より多くの情報源、より多くの特集記事、しかし親日の社説はない、を意味すると言う。Li氏は、「ジャーナリストは、真のジャーナリズムを望んでいる」、「より多くのプロ(メディア)により、より宣伝色の強い古いものと釣り合いを取る事ができる。」と言う。
週刊北京トゥデーの Zhou Yingレポーターは、「私が知る限り、レポーターは扇情的な話題について報道を避けるか、客観的に報じるかを選ぶ事ができる」と言う。

より公平でよりより専門的な日本報道へと、段階的に移行する事を期待して欲しいと北京大学の Liangは言う。9/1日、広州に拠点を置く南方週末紙は、A級戦犯が合祀される前、日本の首相は中国から反対される事なく靖国神社に 20回、参拝したと報じた。東京の外務省は、新聞に訂正記事の発表を要請した。
千葉明外務省国際報道官は、「実際には、A級戦犯が合祀されて以降に中国からどのような形であれ反応される事無しに 20回、神社に参拝したのだ」と言う。中国では訂正が要求されず、編集者はしばしば間違いへの苦情を無視する一方、南方週末はその間違いを訂正した。

千葉報道官はまた、共産党の代弁者である人民日報の、議論を呼んでいる日本の歴史教科書の承認についての 9/3日の社説の正確さについて語った。
北京の日本大使館の井出敬二報道官は、中国のジャーナリズムが彼のコメントをますます多用するようになっていると言う。例えば、彼らは日本での検閲の少なさに関して彼を引合いに出した。しかし更なる改善の余地があると彼は言う。
井出報道官は、「私が言いたい事は、日本、米国そして欧州では、メディアは独立しているという事だ」と言う。
140 小池環境相、京都プロトコルの目標達成の為、炭素税導入を主張
投稿者:- 投稿日時 2005/11/6 22:31:22
更新日時 2005/11/6 22:47:39
「Koike pledges to push carbon tax to meet goals under Kyoto Protocol」
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 翻訳;
小池環境相、京都プロトコルの目標達成の為、炭素税導入を主張

小池環境相は、温室効果ガスの排出を減らし京都プロトコルの目標達成のため、炭素税を導入する必要があると言う。小泉首相に再任された小池環境相(53)は 2003年9月から数えて最長記録の 25ヵ月間、今の地位に在る。
環境相は小泉首相は地球温暖化への取組みは、遂行すべき主要な課題の1つと語ったと述べた。最近のインタビューで、削減目標達成のため日本の為すべきあらゆる努力について、「京都プロトコルは2月に発効し、無駄にできる時間はない」と述べた。
対1990年比で 2012年までに温室効果ガスの排出を6%削減せねばならないにも拘らず、先月発表された環境省のレポートでは 2004年の排出量は1990年比で +7.4%となっている。

昨年、環境省は化石燃料の消費を抑制する狙いで政府税制調査会に CO2の排出に対する「環境税」の導入を提言したが、産業界から激しく反対された。
10/25日、環境省は例えば LPGや灯油の処理業者や輸入業者が燃料に含まれる炭素1トン当たり 2400円(以前の案と同額)を支払う改定案を発表した。石炭、天然ガスそして重油を使用する業界も同額の税を支払う。
しかし環境相によると、新提案では現在の原油価格高騰をふまえ、ガソリン、軽油それにジェット燃料には当面は課税しないと言う。彼女は「産業界に税が経済に打撃とならない事を理解してくれるよう要請する」、「世論に税の必要性を説明する」と述べた。

別の地球温暖化対策として、政府は今夏、オフィスでの冷房需要低減のため軽装を勧める「クールヴィズ」キャンペーンを展開した。環境相は積極的にキャンペーンを実施し、世間でのカジュアルなドレス・コードの浸透に成功した。
内閣改造前、小池氏は小泉首相の郵政民営化への造反候補相手の 9/11日の総選挙での勝利への恩賞人事があるのではないかと推測された。環境相への留任で失望しているかどうかを問われ、小池氏は反対に喜びを述べた。
環境相は「ネクタイを締める者の就任で、(クールヴィズ・キャンペーンで広まったノーネクタイのトレンドが)、反転してしまう事を懸念している」、「環境相として、来夏も強力にキャンペーンを実施する」と述べた。

アスベスト問題への社会の懸念について言及し、小池氏は政府は現行法では補助を得られないアスベストに起因する中皮腫患者について、資金補助を提供する法案の細部について議論していると述べた。
彼女は、患者が一刻も早く補助を得られるよう、政府は法案の来年早々の国会提出を計画していると述べた。環境相としての任期期間中、小池氏は沖縄及び北方領土対策担当大臣も兼任し続ける。
先月末、日米両国の政府は、沖縄県宜野湾市の米軍海兵隊普天間飛行場をより北方のキャンプ・シュワブと沿岸沖への移設を含む、在日米軍の再配備についての中間レポートで合意している。

小池氏は、中央政府と地元世論の間で議論を進め、計画への沖縄県民の理解を得られるよう努力すると述べた。
今月末に予定されている、ウラジミール・プーチン露大統領の東京訪問に関し、小池氏はロシアの実効支配している北海道沖の島々についての領土問題について、世論の関心を励起する努力をすると述べた。

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「1905 treaty paving way to annexing Korea illegal: scholars」
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 翻訳;
学者曰く:韓国併合への道を開く1905年の条約は不法

世界の大部分にとり 2005年は第2次世界大戦終了 60周年である一方、在日朝鮮人コミュニティにとり今年は朝鮮を日本の保護国とし最終的な併合と植民地化への道を開いた条約の100周年だ。
金曜日、大阪で開催されたシンポジウムにて日本と大阪の学者は条約は不法であり、それゆえ日本は大平洋戦争を終了させ朝鮮半島を南北に分断したポツダム宣言条約を含め、以降に署名した条約において朝鮮を代表する資格は無いと述べた。
Ryukoku大学の Esturo Totsuka教授はシンポジウムで、「条約が不法に署名され、従って無効だとの証拠は強い。 結局、おそらくこれはハーグの国際司法裁判所で審査されねばならない問題だ」、と述べた。

学者によれば、日本の警察が朝鮮の Han Kyu Sol首相を部屋から引きずり出した後の1905年11/18日午前1時半、日本の伊藤博文元首相と他の当局者は、1905年韓国保護条約として知られる条約への署名を彼の意志に反して強制した。
親北朝鮮の朝鮮総連の大阪支部に連なるグループの代表である Kim Yu Gwangは、「これは明確に当時の国際法違反であり、少なくとも100万人の朝鮮人が強制労働あるいは従軍慰安婦として日本に連行された事につながる、長く悲劇的な朝鮮占領の始まりだった」と述べた。
139 日米安全保障問題、ジュゴンが遊ぶ場所は避ける
投稿者:- 投稿日時 2005/11/2 20:46:54
更新日時 2005/11/2 20:47:27
「Japan and America, No home where the dugong roam」
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 翻訳;
日米安全保障問題、ジュゴンが遊ぶ場所は避ける

米国の地域における安全保障政策は、1つの小さな浜辺を軸とする。臨時の天幕の下で裸足で足を組んで座り、引退した学校教師で平和活動家のテルオ大西は、辺野古の浜辺から世界のこの地域とそこに広がる珊瑚礁を見守る海神を迎える聖地のある向かい小島を見ている。彼は歴史について語る。
1854年のマシュー・ペリー提督の「黒船」の日本への到着が、いろいろな理由で日本と世界でより有名かもしれないが、大西氏は1816年の英国の海軍船長 Basil Hallの沖縄への友好的な訪問が地方の住民により記憶されていると言う。
琉球人は Hallに好意を持ち、上陸を、そして彼の乗組員の1人を埋葬する事すら許可した -- 墓は今に残っている。英国に戻る航海の途中、Hallはセントヘレナ島にナポレオンを訪ねた。彼は暖かくそして詳細に琉球列島(現在の日本の沖縄県は当時、琉球として知られた)について話した。Hallが琉球人は「戦争も無く、破壊兵器も持たない」と語ると、ナポレオンは驚いたと後に記している。

今日、沖縄ほど破壊兵器が集積されている場所は世界に無く、そしてそれは米軍の物だ。日本に駐留する米軍関係者5万のうち、この日本南端の県に半数がいる。1995年に少女が3人の米兵に暴行されて後、米国は沖縄で最も憤慨の的となった施設 --- 人口密集地域に詰め込まれた海外で最大の海兵隊基地である普天間空港 --- の閉鎖に同意した。
しかしまず、代替地を見つけねばならない。米国は沖縄東海岸の辺野古で珊瑚礁の上に長さ1.5マイル(2.5km)の浮遊ヘリポートの建設を提案した。日本政府はそこでジュゴン(希少な海牛)が草を食んでいるとの理由でそれを却下し、代わりに米軍のキャンプ・シュワブ居住区がある辺野古の近くの陸上にヘリポート建設を提案した。
今度は米国が、それは海兵隊員の訓練に制約が大きいだけでなく、あたりに居住区があり、移転される場所は騒音と危険に対する地元居住者の反対と無縁でなければならないと言って反対した。

普天間基地を移転させる交渉が開始してほぼ10年後、切迫感は大きくなっていた。米軍人によるしばしばの婦女暴行、暴力と交通事故は住民の憤りを刺激する。昨年、ヘリコプターが宜野湾の大学構内に墜落した。
米国と日本は現在、11月中旬のブッシュ大統領と小泉首相の間で予定されている首脳会談 --- ブッシュ大統領は沖縄も訪問するかもしれない --- において示す何かサプライズを欲している。

今週(訳者注:現時点からは先週)、進歩がないせいで米国人の不満が爆発した。アジア太平洋担当国防次官 Richard Lawlessは東京で、アジアにおける米国の安全保障政策の基礎である日本との同盟が「局地的な問題についての果てしない対話」のせいで徐々に蝕まれていると述べた。
その爆発は、10/26日に合意に達したように見えた事から効果を生んだようだ。これはより短い、滑走路の一部はキャンプ・シュワブの陸上に、残りを海へと伸びるヘリポートを造る事を含む。

これはおそらくジュゴンの生息地を保存し、飛行を住宅地からより遠くする。日本での溝を終わりにする事はまた、米国が東アジアで安全保障戦略を全面的に再編する助けとなり、そして、テロや核武装した北朝鮮、中国の軍拡とそれによる潜在的な台湾を巡る対決などにおいてより柔軟な対応を可能とする。
基地を巡る言い争いが終わった事で、米国が自国の防衛においてより大きな役割を果たす事を日本に頼る事が可能になれば、米国は日本に駐留する軍隊の数を減らし、若干の軍隊をグアム、またはハワイへさえ動かす事が可能だ。
しかし最初に、沖縄の空軍基地の再配置についての取決めは島の人々を承知させねばならず、そして政治はトリッキーだ。第一に、誇り高い稲嶺恵一知事は(名護市辺野古)沖合へのヘリポート移設計画を主張してきており、面目を失う気があるように見えない。有権者については反基地感情は高い。日本の陸地面積の 0.6%の沖縄が、不相応な米軍の存在を長く担ってきたのはは当然の事ではない。

歴史的背景がまだ強く影響している:第2次世界大戦において、どこであれ最も多くの犠牲者が出た戦闘の1つは沖縄で戦われ、そして非戦闘員の人口の1/3が死んだ。米国は1972年まで沖縄の主権を返還せず、そして2級市民との感覚は長く続いている。
他方、基地の存在が日本の最貧困県に中央政府から多額の資金を投下させている。豊富な補助金、助成金と地方交付税の第1に、政府は基地で働く 8,800人の日本人の賃金を負担している。私有地に基地を建設されている沖縄人は、賃貸料として総額 800億円(10万ドル以上/Ha)を支払われる。
これら 2.9万人の地主は米軍が早々に出ていく事を望んでいない。地域の安全保障は、鍵となる、辺野古近くの名護市の来年1月の市長選挙および同年後半の知事選の結果を待たなければならないかもしれない。
138 ハンニバル戦記「カンネーの戦い」(1)
投稿者:- 投稿日時 2005/10/30 21:46:41
更新日時 2005/10/30 21:46:41
「Rome and Carthage: Classic Battle Joined」
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ハンニバルはローマの最強部隊とカンネーで戦い、カルタゴ軍の最近の勝利にも拘らず、粘り強さを賞賛されたローマ軍の兵士達の勝利は決定的と思われた。
BC216年8月、その日の夜明け、イタリアに侵攻したカルタゴ軍司令官ハンニバルは、アドリア海と彼の間を3マイルほど隔てる彼の選んだ戦場の平原を見下ろしていた。
8.5万以上の兵力を持つローマの敵軍は、広く怖れられた軍団の標準攻撃体制で整列し前進していた。約 5.6万のハンニバルの軍にとり大博打だ。

紀元前3世紀、地中海中部の最強国としてローマとカルタゴの成長期だ。ローマはそれ以前の5世紀に渡りゆっくり発展し、その時点でイタリア半島の軍事的覇権国だ。
頻繁な敗北があったが、ローマは政治的な手段(全面的あるいは部分的にローマ市民権を征服された都市や値する個人まで広げるたりする事)により、その支配を拡大し固める事ができた。
ローマが必要とする時の軍隊の提供と引き換えに、かなりの程度の自治がローマが破った民族に与えられた。占領軍を作ってその強さを希薄化する事なく、こうしてローマは利用できる人的資源を拡大した。

将来の宿敵カルタゴは現代のチュニス(チュニジア)の近くに位置する都市で、フェニキアのTyreから入植者により建設された。徐々に近隣の都市を征服し同化する代わりに、カルタゴは海運業を通して発展した。
その帝国はスペイン、シシリー、サルデーニャ、コルシカ、バレアレス諸島と北アフリカ海岸の海外取引拠点を基盤とした。これらの取引拠点の後背地は、カルタゴに商業市場、カルタゴ軍の人的資源と富(例えば銀や金)の提供した。
鉱山からの収入は傭兵軍への代金を支払い、カルタゴ周辺地域に住む人々はローマが許したような自由を与えられなかった。

搾取と抵抗に大きな虐待で応じるカルタゴの傾向のため、忠誠の強い絆がカルタゴと隣接した衛星地域の間で形成される事はなかった。カルタゴ市の人口は比較的少なく、人々は商業活動に没頭していた。
軍事力が必要な時、カルタゴはその経済勢力範囲から得られる傭兵を利用するのが好都合だと判断していた。両国が発展した結果、シシリーで衝突した。
メッシーナ(シシリーの北東の先端にある)の都市は、ローマに近くのシラクサからの保護を訴えた。カルタゴはローマの干渉をその領域への侵入と解釈し、第1次ポエニ(フェニキア人のラテン語表記)戦争(BC264 - 241)が起こった。

都市国家が海軍大国になろうとする過程で失われたローマ人の命により、それは高くつく対立だった。BC255年、1度の嵐でローマはシチリア沖で180隻の船と 9.5万の男を失い、BC253年に別の嵐がローマに150船とその乗員を犠牲にした。
第3のローマ艦隊は、後にまた別の嵐で南シシリーの岩が多い海岸沖でバラバラにされた。逆境に直面した時のローマの粘り強さはついに勝利 --- そしてシシリーからカルタゴの追放 --- をもたらした。
長年の戦争の終了時、地中海西と中央でのカルタゴの海軍覇権は衰退していた。

確かにカルタゴの艦隊を建造し乗員を乗り込ませる能力はさほど弱体化しなかったが、しかしカルタゴは以降の紛争でローマに積極果敢に海戦を挑もうとしない。
ポエニ戦争のカルタゴ側史料が残っておらず、航海の専門家であった人々のこの表面的な無気力の原因は決して判らないだろう。今日に残る我々の史料はローマ側の物だ。
ハミルカル・バルカ(ハンニバルの父)は、初の戦争のカルタゴの主要な将軍の1人であり、かなりの期間、西シシリーのカルタゴ最後の拠点で耐えた。最後に破れるが、彼は敗れたカルタゴの将軍の運命 -- 磔 -- にされなかった。

第1次ポエニ戦争の終結時、都市を囲む地域の不満分子に援助されてカルタゴ傭兵は反乱を起こした。ローマはライバルの注意が逸れた事を利用し、最近の和平協定にも拘らずサルデーニャとコルシカを獲得し、カルタゴに巨額の賠償を払う事を強制した。
カルタゴはついに傭兵相手の戦争に勝利したが、シシリー、サルデーニャとコルシカの損失は経済帝国の力を削ぎ、傭兵を集められる地域を減らした。ハミルカルはスペイン占領によりカルタゴの経済基盤を再建する事を狙う。
ジブラルタル海峡の外側、大西洋にある都市ガデス(カディス)はカルタゴより古く、その北アフリカの同盟国のようにフェニキアの植民により始まった。

カルタゴはスペインと取引し、長年スペイン傭兵を利用してきた。ハミルカルはこれを基礎に、正式にスペインの地域多くをカルタゴ支配下に置くと決めた。
これはハミルカルがいずれにしろ必然と感じた対ローマの軍事行動の基盤を用意し、領内の莫大な銀と金の埋蔵量の獲得し、どちらもローマとの戦闘に役立つ、素晴らしいイベリア人とケルト系イベリア人傭兵により近い地域であった。
ハミルカル・バルカ、そしてハスドルバル the Splendid(彼の義理の息子で後継者)は南部及び東部スペインの大部分を制圧し、スペインの南東部海岸でカルタジェナ(New カルタゴ)市を建設した。

新しい土地の都市国家の指揮権は、バルカ家の手の中に残った。傭兵への信頼性の欠如を最少とし、立派なリーダーへのスペイン部族民の忠誠を得る方法として、バルカ一族は遠方のカルタゴ市より地元部族の族長との緊密な関係に基づく帝国を建設した。
ハスドルバルは地元部族との関係を強化するため、外交と有力な部族との婚姻を利用した。
ハミルカルの3人の息子 --- ハンニバル、ハスドルバルとマゴ --- はハミルカルと初のハスドルバルの仕事を続け、そして第2次ポエニ戦争の間にローマをほとんど膝を屈させかかる。
137 ハンニバル戦記「カンネーの戦い」(2)
投稿者:- 投稿日時 2005/10/30 21:44:54
更新日時 2005/10/30 21:44:54
ハンニバルの少年期の詳細は残っていない。初の戦争終了時、5才の彼はシシリーに父と共にいた。9才でハミルカルと供にスペインに行き、帝国の形成期に青春を過ごした。
BC226年、ハスドルバルは地域でのカルタゴ権益の北限をスペイン北東部のエブロ川とする事でローマと合意した。5年後にハスドルバルは暗殺され、ハミルカルの息子ハンニバルがリーダーとなった。
その頃、ローマはサグント(エブロ川以南のスペインの地中海沿岸、従って多分カルタゴ領内の都市)の情勢に関与し始めた。ハンニバルはローマの動きを初の戦争を誘発した干渉と同様の前兆と見た。ハンニバルは町を包囲し、8ヵ月後に陥落した。

ハンニバルの戦略的洞察はその時、明白となる。第1次ポエニ戦争の教訓から、ハンニバルはカルタゴがローマの地元から遠く離れた戦争で勝てないと理解した。ローマの膨大な戦争に投入可能な人口は、カルタゴに敗北前提の単純な消耗戦を提示した。
ハンニバルはローマの人々に戦争の負担を強いる一方でイタリアの同盟国のローマへの忠誠を弱めるため、イタリアで戦うと決めた。
並行してローマの敵、特にマケドニアとシラクサ、と軍事同盟を交渉した。そしてカルタゴ艦隊はもはやローマに対抗できないので、陸路によるイタリア侵攻となった。

そのため、ハンニバルは行軍に先立ち行程上の部族との交渉に最善を尽くし、ローマの伝統的な敵である北イタリアのケルト人部族のいくつかと同盟を結んだ。
ハンニバルの軍は、アルプス山脈を越えた最初の文明化された軍であった。極寒、逃亡、事故と山岳部族の激しい抵抗は行程の間、4万 → 2.6万まで兵力を減らし、そして同行させてきた象の大部分も失われた。幸い、一旦イタリアに到達すれば、ケルト人との同盟による補填が軍をその最初の強さに戻した。
その後まもなく、ハンニバルは戦闘指揮官としての気概を示し、単に敵を撃破するだけでなくむしろ殲滅するとの決心を示した2つの戦闘を行なった。

トレッビア川で、4万のローマ兵で待ち伏せから逃れる事ができたのは1万だけであり、トランジメーノ湖では2.5万のローマ兵が事実上全て殺されたか捕らえられた。以降、ローマは大規模な戦闘を避けるようになる。
ハンニバルはローマの同盟都市から囚人を丁寧に扱うよう注意し、しばしばローマからの離反を促す意図で身代金無しに彼らを自由にした。
他方、捕らえられたローマ市民は、ハンニバルの兵への支払いに充てるため身代金を要求されたか、それがない場合は奴隷として売られた。カルタゴの軍は、地域に多大な経済的損害を引き起こした。

トランジメーノ湖の後、ハンニバルは追加の補充兵を募集するため、軍を南イタリアへと動かした。そこでのハンニバルの略奪は、ローマ人により積極策を強制した。
その時の2人の執政官(Caius Terentius Varro と Aemilius Paulus)は恐怖のカルタゴ人にトドメを刺せとの命令と共に、ローマの統合軍団の指揮権を受けた。通常、2人の執政官の各々に指揮権があるが、慣習で軍が結合された時は指揮権は1日毎に交替した。
ハンニバルの高いな諜報システムはヴァロの方が攻撃的な事を報告し、そこでハンニバルがヴァロが指揮する日に行動を起す事に決めた。

ハンニバルは、ローマ軍を戦場として選んだ場所に誘い込むため、ローマの南、イタリアの「長靴」のアドリア海側の小さな村カンネーの穀物倉庫を占拠した。
戦闘可能なローマの兵力は、当時の基準としては大きな物だった。歩兵4万の完全な8軍団は、同盟国からの歩兵4万により補強された。ローマ騎兵およそ 2400と同盟国騎兵4千を加えた総数は 86400だった。
戦闘で、両翼を騎兵で覆われたローマ歩兵部隊は通常、横隊で正面へと前進する。重装歩兵は、投げ槍を投げて戦闘を開始しそれから陣型の後部へ退く前哨隊の後ろに在った。絶妙の隙間が各の戦列の間に残されており、彼らは陣型を通過する事ができた。

重装歩兵の基本的な戦闘単位は、2歩兵中隊に分けられたおよそ160人で構成される Maniple(戦闘単位)。連続した戦列を形成するよりはむしろ、歩兵中隊の1つは他方の背後に展開され、戦闘を終えた前哨隊が移動できるよう隙間を残された。
攻撃の際や防御体制の時は、後方の中隊は隙間を埋めるために前に移動した。Hastatiはローマ重装歩兵陣型の最前線を形成した、重い盾、兜、軽い槍と重い槍(投げ槍)、短い直剣を装備していた。
Princepsは重装歩兵陣型の第2列を形成し、Hastatiと同様の武装で少し年長で経験が有った。Princepsの中隊は Hastatiのそれの後で隊列を組んだが、Hastatiの戦列の隙間を埋めた。

第3の戦列 (年長兵で構成された Tritarii)は第2線の隙間の後で中隊の隊列を組み、全体的な陣型のチェッカーの効果を持った。Tritariiは前2列の投げ槍の代わりに、押出す槍を装備した。
熟練の指揮により、特に以前の密集部隊に、この柔軟性を可能とする陣型は有利だ。残念ながら、執政官を毎年新たに任命し、2人の執政官が統合軍を展開した時は毎日指揮権を交代するローマの方式は、軍トップの首尾一貫した計画の遂行を困難にした。
ローマ軍の勇気、規律と愛国心が不足する事は滅多に無かったが、来るべきカンネーの戦いは、軍の指揮官の選択と責任における変更の必要性をハイライトする事になる。

カンネーでのハンニバルの軍の基本的構成は、北アフリカ兵、スペイン兵、ケルト兵であり、おそらく最も信頼できる歩兵は、カルタゴが当初フェニキアの植民地であった事を反映し、フェニキア系リビア人重装歩兵だった。
アフリカ(リビア)に住むフェニキア人は、カルタゴで兵役に就き、勇敢だった。当初はギリシアの重装歩兵のような装備であったが、その時にはトレッビアとトランジメーヌ湖で捕獲したローマの武器を備えるようになっていた。
歩兵に加え、スペイン騎兵2千をハンニバルは利用できた。彼らは重装備の重装騎兵として使われ、馬の優れた質が、ヌミディア騎兵に匹敵する速度を与えた。
136 ハンニバル戦記「カンネーの戦い」(3)
投稿者:- 投稿日時 2005/10/29 23:02:31
更新日時 2005/10/30 21:43:11
ハンニバル軍の残りは、ケルト人歩兵およそ 2.5万と同騎兵5千であった。これら野生の部族民は闘争のために --- しかしハンニバルのような指揮官の司令無しで --- 生きていたが、規律不足が彼らの信頼性を低めていた。
彼らは優れた剣士だったが、しかし最も裕福な者だけが鎧を着た。しばしばケルト人は裸で、単に剣、盾と兜だけを装備して戦った。カンネーの時点で、ハンニバルはこれらの男を捕獲したローマの武器で武装させた。
彼はアフリカの歩兵を押し出す前、敵を混乱させる突撃専用部隊としてケルト族を利用する事を好んだ。無論、ケルト人の犠牲は大きかったが、彼らは栄誉を受ける事への当然の結果として受入れた。

カンネー(今日のバルレタ)で、ローマ軍はハンニバル軍の中央を粉砕する決意だった。カルタゴ軍の中央を圧迫するため最大の圧力をかけるべく、縦方向にとても深い戦線を形成した。
ローマ軍の右翼では総勢約 2,4千の軍団騎兵が、ハンニバル軍のスペイン騎兵とケルト騎兵計7千を前にした。不釣合いな組合せは、驚くべき戦闘の結果に対し決定的な要因であったと証明される事になる。
ローマ軍左翼では連合軍騎兵4千が、同数のヌミディア騎兵と向き合った。ハンニバルは変わった方法で歩兵をの隊列を組ませた。隊列の中心が凸形に、前進してくるローマ軍に突き出した。両翼は中央から後ろへと湾曲した。

進軍してくるローマ兵に数で大きく劣る、スペインとケルトの剣士の部隊が交互に凸面戦線を形成した。ハンニバル自身は前線の最左翼、彼の最も若い弟マゴを最右翼に配置した。
戦列の両端の後ろにアフリカ歩兵の密集部隊が付き、その位置は彼らが中央よりずいぶん後から戦闘参加する事を確実にした。ローマ軍が進むにつれ、暑い西風は彼らの顔に塵を吹きつけ視界を隠した。
およそ 35ヤードの距離でローマ兵は軽い投げ槍を投げ、スペイン兵とケルト兵に犠牲者が出た。たとえ敵の盾に刺さっただけでも槍は抜取るのが難しく盾を押し下げたので、この投げ槍はしばしばローマ軍団兵に対して敵兵を脆弱にするとって厄介な問題となった。

より近い距離で重い投げ槍が投擲され、そして機敏なケルト兵と軽業のようなスペイン兵に対し、鍛練されたローマ兵団とで、歩兵の戦列は双方から激突した。やがてローマの攻撃の重圧がハンニバル兵に対し効果を発揮し始め、そしてカルタゴ軍の中心は圧された。
ハンニバルの兵は押し戻され、じょじょに斜面を昇りながら後退していった。上から見られば、スペイン兵とケルト兵は「V」の形の凹線となり、両端の最初の場所にまだアフリカの重装歩兵密集鵜部隊が付き、戦線が「V字」となっていたろう。
地形的自然条件のため、ローマ兵は昇りながら戦い前進し、同時に「V字」の中に多数が入ったため、正面が狭く動きを制限された。

ロー マ歩兵は知らなかったが、彼らの運命はこの時までにほとんど決まってしまっていた。歩兵が大規模な時間稼ぎ作戦を戦う間、ハンニバルは騎兵隊が決定的な一撃を加える予定でいたのだ。
戦闘開始し、ハンニバルは左翼のスペインとケルト騎兵に、増強されたローマ騎兵へ攻撃開始させた。執政官アエミリウスが騎兵を指揮していたが、カルタゴの攻撃の重圧に耐える事はできなかった。
アエミリウスは負傷し、ローマ騎兵の大半は戦場から駆逐され、ローマ歩兵部隊の側面をガラ空きにした。カルタゴの左翼でこれが起きた間、右翼のヌミディア騎兵とローマ同盟国騎兵との戦いはまだ決着していなかった。

カルタゴの左翼騎兵指揮官ハスドルバルは部隊を再編成し、ローマ歩兵連隊の後方を通過し、ヌミディアとローマ同盟国の間で行き詰まる騎兵戦が続く反対側へと駆けた。同盟国騎兵は驚き、2つのカルタゴ騎兵の間で撃破された。
同盟国騎兵は戦場から逃げ、執政官ヴァロも一緒だ。この時点でアエミリウスは死んだか死にかかり、他方の指揮官ヴァロはもはやローマ軍と行動を共にしていなかった。
ローマと同盟国の騎兵は殺されたか捕らえられたか戦場から駆逐された。ヌミディア騎兵は同盟国騎兵を追跡し、戦場にはケルト騎兵とスペイン騎兵のみが有効な騎兵として残された。

その時間までに、ローマ歩兵は斜面の上へと、そして「V字」の終わりの点まで戦い進んだ。兵士は限定されたスペース内にきつきつに詰め込まれたので、ほとんどの者は効果的に武器を駆使できなかった。
後列のローマ兵は圧し進んだが、操作する余地がほとんど無いと判った。強い風は進むローマの軍団兵の顔にちりに吹きつけ続け、彼らが危険を認識する事を難しくした。
その時、カルタゴの側面にを付いていたアフリカ歩兵はさらにローマ歩兵を締め付けるため、方向を変え進んだ。ハスドルバルはカルタゴの軽装歩兵に援護された重装騎兵にてローマの後部を襲った。そして包囲は完了した。

バレアレス島民傭兵の投げるナイフと剣による負傷の激しい痛みを感じた時、多くのローマ兵は初めて危険を察知した。望みを全て断たれても軍団は戦い続け、ローマ兵の勇気は十二分に示された。
しかし何千ものローマ兵が死に、徐々に抵抗の面積は減っていった。そして全てが終わった時、ローマ軍は本当に完敗していた。86400の最初の兵力のうち、死者およそ5万、捕虜およそ 4500。
およそ1.7万のローマ兵は近くの2つの強化された宿営地に避難したが、更なる抵抗でもう2千が戦死した後、残り1.5万は降伏した。全部でローマ兵の死者と捕虜約71500、全軍の 83%だ。カルタゴの損失は6千未満、そのほとんどがケルト族によるものだ。
135 ハンニバル戦記「カンネーの戦い」(4)
投稿者:- 投稿日時 2005/10/29 22:56:00
更新日時 2005/10/30 21:39:56
そうした大災厄の後、特に前のトレッビアとトランジメーノ湖の敗戦の後、降伏しなかった事はローマ人の偉大さを表していた。ローマ元老院が次に開かれた時、カンネーで被った犠牲のため177の空席は埋めねばならなかったが、しかしローマ人は、戦争を続行を躊躇しなかった。
カンネーの戦いはハンニバルの経歴のピークを表したが、しかし彼はその時にローマ自体を占領する事によって戦争を終了させようとしなかった事で非難された。
ハンニバルはもう13年間イタリアに居座るが、しかし結局、損失を顧みず戦い続けるローマ人の決意は、偉大なカルタゴ人を撃破する機会を与える。

ローマ人の決意を揺るがすのに十分な強力な艦隊を建造できなかったカルタゴの失敗は、ハンニバルの仕事をひどく難しくした。
彼は大半のローマの水夫の故郷であるイタリア海岸の都市を占領する事で、ローマ海軍の優位を減じようとした。ハンニバルがそれらを制圧すれば、カルタゴ艦隊の状況は改善されたろうが、しかし彼の限られた兵力では、港湾都市をローマが奪還する事を防ぐために十分な駐屯軍を派遣する事は難しかった。
BC218 - BC203年の計15年間、ハンニバルはイタリアの広域を占有した。彼はローマ群と何度も戦い撃破したが、しかしその闘志を挫く事はできなかった。

カンネーの後、ローマは再びハンニバルとの大規模合戦に慎重となったが、しかしその海軍力と、イタリアにハンニバルが居座っているにも拘らず、スペインへ侵攻するという決定はハンニバルに軍の補強を問題とした。
年齢、病気や負傷により、ハンニバルとアルプス山脈を越えた軍隊は徐々その数を減じていった。ハンニバルは最初はイタリア半島北部のケルト族、後にその供給が断たれた時は、南部地方から募った兵士で代替する事により、軍を維持した。
しかしカルタゴの海軍力の欠如により、ハンニバルのシラクサとマケドニアとの同盟から成果を得る事ができなかった。

ローマ海軍はハンニバルとマケドニアのフィリップ5世の間の条約の条文を捕獲し、そして後者が複製を受け取って行動を起す頃には、ローマ艦隊は彼の軍隊がアドリア海を横切りイタリアへ渡るのを防いだ。
ローマ艦隊がメッシーナの狭い海峡を渡る事を防いだため、シラクサがローマ軍に包囲された時、ハンニバルはシラクサ救援に行く事ができず、そしシラクサは陥落した。
全ての困難にも拘らず、ハンニバルは部下を最大限に活用する事に、まさに才能あるリーダーだった。彼の軍はカルタゴの大義への観念的な関与を持たない傭兵で構成されていたが、それでもイタリアで活動する5年間にいかなる反抗の記録も存在しない。

ハンニバルの軍は単に持ち堪えただけでなく、高水準の規律と士気を維持した。
イタリアでのほぼ10年の後、途中で安全な道へショートカットできたかもしれないのに、Salabriaの 500人のヌミディア駐屯軍は、彼らの警戒区域を守り、通りで最後まで戦う事を選んだ。
そうした行為は、特に大きな愛国的動機付けを持たぬ傭兵において顕著であった。また、彼らは一旦死んでしまえば、金銭的報酬を受け取る事はできないのだ。しかし・・・とにかく彼らは戦った。

カルタゴとバルカ家は、ハンニバルの弟ハスドルバルが援軍を連れてアルプス山脈を越える事を模倣した後(ローマにスペインでの自由裁量を与えた必死の動き)、スペインを奪取された。
そしてハスドルバルは BC207年、強力なローマ軍との対戦前にハンニバルと合流できなかった。引き続き起きた戦闘において、ハスドルバルは撃破され戦死した。ハンニバルがイタリアへ彼の弟が到着したと知った最初のニュースは、彼の頭がハンニバルのキャンプに投げ込まれた時であった。
カルタゴがスペインを失った事は、優れた傭兵の供出先であっただけでなく、同時に他の国から傭兵を雇い入れる資金として不可欠な金と銀の鉱山を失った事だ。

BC203年の10月、プブリウス・コルネリウス・スキピオ(スペインの征服者)は北アフリカへ侵攻し、カルタゴ本国の防衛のため、ハンニバルに帰国を強いた。
翌年の春、スキピオの手によるハンニバルの「ザマの戦い」での敗北(主に騎兵力の不足に起因する)により、第2次ポエニ戦争は終了した。
ハンニバルは戦争の後、カルタゴで有力な地位にまで上がり、対決からカルタゴが経済的に立ち直る事を助ける処置を取った。ローマはカルタゴの復活を疑いを以て見て、そしてハンニバルは東方へ逃げることを余儀無くされた。BC183年秋、そこでローマの手に落ちるより、 むしろ自決した。
134 ハンニバル戦記「アルプスを越える」(1)
投稿者:- 投稿日時 2005/10/28 23:13:26
更新日時 2005/10/29 23:08:03
Hannibal's Epic March Across the Alps to Rome's Gates
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 翻訳;

BC218年、ハンニバル・バルカはローマとの第2次ポエニ戦争に赴くため、8.4万の混成軍を率いてイベリア半島を出発した。多くの民族/文化からなる兵士を含む強力な軍はエブロ川を越えて北スペインに入る準備を整えた。
最も異質であった事は、その軍隊は 20年の戦いを経たベテラン兵揃いであった事だ。それは速度と衝撃力を持つ統率された軍隊であり、そして1人の男と1つの意志 --- カルタゴのハンニバル --- に応じた。
ヌミディアの砂漠平野からの敏速な軽騎兵は、好奇心あるいは敵対的な目から本体を隠したを。このバリアを過ぎ、軍は数マイル進んだ。

イベリア騎兵と歩兵の戦隊、投石機の技を幼少期から訓練されるバレアレス島民傭兵、弓兵、北アフリカの種族からなる投げ槍隊、移動監視塔のように前をとぼとぼ歩く戦象、ベテランのリビア槍兵 --- 8万以上の男が全てだ。
ハンニバルは、宿命の BC218年にエブロ川に軍を率いていった。10年前、ローマの元老院と人々は、戦争の懲罰として、カルタゴ人がその川を横断するのを禁じた。
今、ハンニバルの至福の時。若い将は、エブロを横断するだけでなくて、ローマを脅かすためにピレネー山脈を越え、ガリアを通過し、そしてアルプスを越えてイタリアへという壮大な行軍を実行する決心をしていた。

ローマ人は、ハンニバルの父ハミルカル・バルカが息子にイタリアを侵略する計画を与えた後で思った。第1次ポエニ戦争で偉大な将軍は、最後の7年の間、西シシリーで巧みなゲリラ戦をローマ軍団に対し展開した。
陸戦で無敗であったが、ハミルカルは海軍の敗北により BC241年にシシリーをローマに引き渡す事をよぎなくされた。しかしその終戦は貪欲な流血の反乱によってすぐに脅かされ、カルタゴに一時の中断をもたらさなかった。
BC238年、ハミルカルは で最終的に反乱軍を撃破したが、ローマはサルデーニャとコルシカを獲得する機会を得えた(カルタゴ人はサルデーニャのレイプと呼んだ)。

むきだしの侵略行為は、ローマが野放しのままである限り、彼の母国の平和は無いとハミルカルに確信させた。反乱軍を壊滅させると、ハミルカルは失われたシシリーとサルデーニャの代替となる領土切り開くため、新たにイベリアへの遠征を企画した。
カルタゴを去る前、彼は「ローマを生涯の敵とする事」を誓わせるため、神殿に9才の息子ハンニバルを連れて行った。BC229年に戦死するまで、ハミルカルは9年間をイベリアで活動した。
イベリアの指揮権は彼の義理の息子の Hasdrubal the Splendidに渡ったが、ハスドルバルは BC228年にローマ人に決して武装していてエブロを横断しないと制約する条約に調印させられた者だ。

BC221年、暗殺者の刃に殺されるまで、ハスドルバルはもう8年間をイベリアでバルカ帝国の拡大に努めた。カルタゴの軍はそれから新任の指揮官として、25才のハンニバルを選んだ。
父の計画の実行は、ハンニバルと彼の弟 --- ハスドルバルとマゴと --- に巡ってきた。ハンニバルは時間を浪費しなかった。2年間の猛烈な活動で、彼は南イベリアのカルタゴの掌握を強化し、軍隊を仕上げる。
Saguntum(エブロ以南だが、ローマと同名していた)を巡る紛争は、新たな戦役への口実となった。BC219年、Saguntumを包囲し、そして8ヵ月後に陥落した。ローマは、カルタゴにハンニバルの降伏と賠償を要求する大使を派遣した。

カルタゴ議会が拒絶した時、ローマの外交官は宣戦を布告し、そしてカルタゴは受けた。第2次ポエニ戦争(またはハンニバル戦争)の始まりだ。
イベリアでは、ハンニバルは軍を冬期宿営地へ入れ、ローマへの大遠征開始前の最後の家庭の休暇のため、イベリアの派遣団を解放した。スパイと大使は、ルートを偵察し、族長と交渉するため先発された。金銀は、道を舗装するのを助けとなった。
ハンニバルの計画の鍵は、Boiiとの予想された同盟とポー川谷のInsubresであった。これらケルト族はローマ付近で最近の支配にいら立ち、復讐と自由を約束した同盟を熱心に受け入れた。ハンニバルのため、彼らは北イタリアで人材と基地を提供した。

ハンニバルは報復戦争のため、3つの軍を動員した。予想されたローマの侵入への防備としてイベリアにアフリカの徴集兵を連れてきた一方、アフリカ防衛のため13850のイベリア歩兵、1200の騎兵と 870のバレアレス投擲兵を送った。
およそ100隻の母国の艦隊に加えて、4,000の歩兵がカルタゴ防衛に配備された。
ハンニバルは不在時のイベリア総督として兄弟のハスドルバルを任命し、以下の軍隊を与えた:11850のリビア槍兵、500のバレアレス投擲兵、300のリグリア歩兵、1800のヌミディア軽騎兵、450のリビア重騎兵、300人のイベリア騎兵、21の戦象と57隻の軍艦。

伝えられるところではイベリアのハンニバル軍は9万の歩兵と1.2万の騎兵であったが、おそらくその数字は自分のものだけでなくハスドルバルの軍隊を含む。遠征軍はまだ 7.5万もの歩兵と9千の騎兵を数えた。
ハンニバルは5月遅くに Newカルタゴ(スペインのカルタジェナ)を発ち、友好的な領域を通って 290マイル進み、6月後半までにエブロに到着した。彼に同行したのは --- マゴ(彼の末弟)、Maharbal(彼の代理人)、ハスドルバル(総督)、そして Hanno(Bomilcarの息子)。その将のグループは、史上最も優秀で有能な指揮命令チームの1つであると証明する事になる。
133 ハンニバル戦記「アルプスを越える」(2)
投稿者:- 投稿日時 2005/10/28 23:09:28
更新日時 2005/10/28 23:09:28
バルカの侵攻計画(それは2世代にまたがる)と違い、BC218年の Saguntum陥落により生じた危機感により、ローマは急いで戦争計画を作成した。
ローマは来たるべき年に備え 6.4万の歩兵と 6.2千の騎兵を動員した。元老院はカルタゴとの攻撃的な2面作戦を予定した。その年の2人の執政官(最高行政官と将軍)が、各々を指揮する。
プブリウス・コルネリウス・スキピオは、イベリアでハンニバルと交戦をするべく、2軍団(各々、歩兵 4000と騎兵 300)に、イタリア連合の歩兵1.4万、騎兵1600と 60隻の軍艦を割り当てられた。

元老院は、彼の同僚(ティベリウス・センプローニウス・ロングス)を2軍団、イタリア同盟の歩兵1.6万、騎兵1800と172隻の軍艦とゆうより大きな兵力でシシリーに派遣し、アフリカのカルタゴへの侵攻準備させた。
歩兵1万と騎兵1000の同盟軍の予備2軍団は、動向の定まらぬケルト族を威圧するため、アルプス以南のガリアに派遣された。ハンニバル軍のエブロ横断時までに、カルタゴとローマはすでに戦時であり、そうした条約違反はさほど重要でなかった。
ハンニバルは、北イベリアを征服する電撃戦を実行した。激戦により4つの主な種族を鎮圧した。海岸の都市は包囲よりむしろ、迂回した。

ハンニバルは冬までにアルプスを横断する必要があった。彼は北イベリアでローマ侵入軍と対戦すると思っていたが、晩夏までに現れなかった。ハンニバルは8月、ピレネー山脈を越える決定を下し、エブロ川を越えてから180マイルを踏破した。
新しく獲得された地域に彼は1.1万の分遣隊と共に守備隊を置いた。ピレネー山脈で、故国を去る事を渋ったもう1.1万のイベリアの軍隊を解放した。
伝えられるところでは、ハンニバルは歩兵5万と騎兵9千とガリアに入った。スキピオは夏までにイベリアに入る事を切望した。しかしハンニバル到着を予想した Boii続とInsub